俺の写真に欠けているもの、、、

とそんな事を最近よく考えるのです。 写真を撮るからには、やっぱり「人に見せたい!」きもちがあるわけで、一枚一枚はそれなりに綺麗に撮れるようになってきたと思うのですが、「作品」と呼ぶには、なんか「薄っぺらい」感じが拭えない、そんなもんもんとした気持ちがありまして、アルバスで今回開かれた、「F_d写真教室」のプレスクールに参加しました。 プレスクールなので予告編的な教室でしたがかえってそれがよかった!

時間がないので写真の技術的な話はほとんどなくて、写真を「記録的」なものから「作品」に昇華する為の心構えやアプローチの仕方の話がほとんどでした。

明らかに失敗写真で、デジタルだったら、即デリートですよね。フィルムだからかなんかイイと思ってしまうのが、不思議です。でも「なんかイイ」ということを他の人に伝えられなかったら、ただの独りよがりにすぎません。これはこないだの撮影ツアーで行った、針尾送信所後の内部で絞り優先でシャッターを切ったら、開きっぱなしになったときのもので、過去の(忌まわしき)戦争で使われた通信塔の「怨念」的な感じが出てて、タイトルを「Reverberation(残響)」としてみました。

なんてこんな話をすると、何人かは「いい写真のような気が」してこないかなぁ?

これは「forest」、今日は表題の写真から「組写真」を意識して並べてみてます。ちなみに表題写真は

「Manmade tree(人工木)」


「Observatory of imagination(想像力の展望台)」

九十九島が綺麗に見えるはずの展望台も霧でなんにもみえなかった。

「Waves」

作物?の鳥避けネットが波のようでした。(見たまんま!)

つまり、俺の写真に欠けていたのはメッセージといいましょうか、テーマがない写真を並べられても見る人には伝わりにくいということですね。

「Battle  windows」

トーチカの窓から見た九十九島

作品作りのアプローチは既に撮った写真の中からセレクトするものとテーマを決めて写真を撮る方法がある。

無論、後者のほうがより強いメッセージ性が込められる。これからどんどん挑戦していきます。

「Entrance of the Time machine」

「戦争の時代」にはもどりたくないものです。

どうですか?ちょっとは「作品」の匂いがしましたかね?

まぁ、最初はママゴトみたいな感じでも意識して撮っていけば成長するよ!きっと!